昭和の節子


この部屋のエアーコンディションは最高。

いつも自然光がよく入る環境で生活する節子は
こんな薄暗くていいのか不安になった。

入り口のドアが閉まると真っ暗になってしまうから、
先に電気をつけないといけない。

ここに私一人で入るときはそのとこに注意しよう。

薄暗い間接照明。
部屋のぐるりはすべてガラスケース。
中には世界の動物の剥製が何体も収められており、
ちょっとした展覧会のようになっている。

お互いが視線を合わせるように配置された雌雄のライオン
ガチョウ、インパラが3匹、1体はまだ小さい。
グリズリーはガラスケースの外にあって見上げるほど大きい。
2m80cmって私の2倍くらいなのかな。
ガゼルは3体、ホッキョクグマが2体、チーターが1匹、
シマウマが2体。

床には熊を敷物にしたふかふかが2つある。
あぁ、でも熊の毛ってざらざらと堅いからふかふかじゃないか。

それにしてもなんて涼しいんだろう。
こんな涼しいのはデパートか電気屋さんの入口の空気くらいだわ。

入って左手のドラムセットにもちょっと興味を持ったけれど
バスドラムをどこどこやって、ハイハットをしゃーんと鳴らして
もう、満足した。

祖父の友人の別荘には管理人に声をかければ節子は自由に出入りして
いいことになっていた。
祖父と友人が囲碁を楽しむ間、節子は外の釣り堀を眺めたり
別荘でくつろいだり、それに飽きると友人のお宅でコリー犬のラッシーと
遊んで退屈することはなかった。

その祖父の友人は
祖母からきいたことなんだけれど

昔はすごく貧しくて、妹をおぶって学校に裸足できていたらしい。

食べ物にも困るくらい貧乏で
そんなとき祖父はご飯と食べさせたり、靴を与えたり
いろいろと世話をしてあげてその教え子は立派になって
土建屋さんになって大成功したみたい。

他にも逸話をきいたけれどありすぎて忘れちゃった。
印象に残ってるのはその話が一番。
とのかく祖父はそうやって教え子や貧しい人を助けたりしてたんだ。

そう言えば「ひんすればどんす」って言ってたような気がするけれど
ああ、そうか。
「貧すれば鈍す」って言ってたんだ。

節子は祖父のようになる自信はまったくなかったけれど、
なるべく困っている人を助けたいなーと思うくらいの
価値観を祖父から受け継いで今に至ります。

ちなみに父と母は山で滑落して死んでしまったということになっており、
高齢の祖父と祖母が亡くなったのち
節子は身寄りがなくなってしまった。

でも持ち前の明るさでそのへんは適当に乗り切って
この春、24歳を迎えた。
昭和64年のことじゃった。














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