新入社員よこみねくん


よこみねくんが私を呼びかけるときの第一声は
「上司ぃ」
だった。

「よこみねくん、確かに私は君の上司だけれども他にも上司はいるわけだし
苗字で、佐々木と呼んでくれないかな。」

呼び方以上に違和感を感じたのは呼びかけている位置だ。
やけに透る声でずいぶんと遠くから呼んだものだ。

「あー、はい。佐々木!」
「よこみねくん、そこは佐々木さんだと思うよ」

「はい。佐々木さん!」
この素直で人なつこい若者は今日からこのファ部に配属された「よこみねくん」小学3年生だ。

「佐々木さぁん、俺ここ来る前引きこもりだったんすよ」

よこみねくんは突然自分のことを語りだした。
「引きこもり」というネガティヴワードとは裏腹のにこにことした声で

「実はー、ここ来る前セブン・イレブンで働いてたんですけど入社初日?
まだ研修とかなんも受けてないのにいきなりレジに立たせられて。
俺なんにもわかんないじゃないですか。今までコンビニに客で行ってたときのこと
必死で思い出してやってみたんすけど、ちょーなんにもできなくて。」

口が乾いたのか持参した炭酸水に口をつける。

「客には怒られるは、『この役立たずが』って怒鳴られるわでさんざんだったんすよね。
それで、もう俺いやになっちゃって、休憩時間にバックレてそのまま引きこもりました!」

よこみねくんは履歴書の情報によるとまだ9歳になったばかり、若い身空でそんなつらい経験をしていたのか。

「よこみねくん、それは胸中お察しするよ。バックるのはよくないかもしれないが、
君みたいな子が……私にも同じくらいの年の子がいてね。だからこの会社、私の元ではそんな思いはさせないからね。焦らなくていいから、肩の力を抜いてがんばってくれよ」

「はい、佐々木さん!」

当社のファ部という部署では主に、事務作業ちっくなことをしていた。
コピー用紙の穴あけ、書類作成、コピー、備品発注、お茶汲み、たまにある出張。

その昔は庶務という名前だったのだが、「雑務」的要素が拭いきれず
組合から反発をくらい「ファ部」という一見よくわからない名前になってしまった。

一説によると「ファ部」の「ファ」はFUN、楽しむことのファ、燃え上がる「ファイアー」のファ。「ファッション」のファ。闘魂「ファイター」のファなど
個人的には若干暑苦しいが働く人間にとっては日々の仕事がときたま輝いて見えてくるから不思議だ。


3ヶ月間は研修期間で一通りの仕事を覚えてもらうスケジュールを組んだ。
勤続18年ともなると、人を見る目はこれでも多少は身についていると思う。
よこみねくんはきっと、打たれ弱い。

「上司ぃ」と2回目に呼んだとき、「佐々木さんね。」とふつうの会話をしただけなのに
「俺やっぱり、向いてないかもしれないっす」と漏らした。

そんな硝子細工のようなメンタルのよこみねくんをどうやって一人前にしていくか、
それが私のこの会社でも最後の仕事になるのかもしれない。

よこみねくんは一人でタクシーには数回乗ったことがあるにも関わらず、
お使いをしたことがないらしい。

「郵便局に行って、1200円分の郵便為替を買って来てくれるかな。」

「わっかりました〜。でも俺一人で買い物したことなくて、これまでの人生で
初なんですよね。とりあえず行ってきます!お金ください」

「いってきます!」よこみねくんは颯爽と、出かけていった。




たぶん続かない。


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